またしても電車内での無差別傷害事件が起こったことで、それら凶悪事件への対策訓練が様々な駅で行われているとニュースで流れていました。
当り前に使っていた電車が恐怖の事件現場になるなんて、何かの映画やドラマを観ているかのようです。それが現実に、しかも度々起こっているのですから本当に恐怖でしかありません。
きっと、現場に居合わせた人の中には、身体は無傷で何事もなくても、経験したことのない恐怖から心に深い傷を負った人もいるでしょう。
精神的なショックで日常生活がまともに送れなくなってしまった人もいるだろうし、今後も毎日のように電車を利用しなければならない人は、またいつ事件が起きるかもわからない不安で知らず知らずに精神消耗をしているかもしれません。
事件でも事故でも、いつどこで起きるかなんてわからないし、どうして自分がそれらに遭遇したのか考えたって答えは見つからない。ただ、運が悪かったとしか言えないことがほとんどなのです。
だからこそ、いつやってくるかも判らない災難を避けるためには自分の運を強くしておくしかありません。
開運といえば金運上昇など華々しい幸せをイメージしがちですが、本当の意味で運が良い人とはタイミング良く災難を避けられたり、まともに被害を受けないで済む、ということでもあります。
平凡な生活だとしても、災難に遭わず生きていけるということは本当に幸せなことです。
自己運強化は1番の厄除け
当会のお客様でこんな方がいらっしゃいました。
その方は開運法による吉方転居で地方から都内に転居し、日々お仕事に励んでいらっしゃいました。
新人だったため休みもろくに取れず、連日働き詰め。
漸く休みをもらえた日の朝、ニュースから流れてきたのは目を疑うような事件現場の様子でした。
それが25年前に起きたあの地下鉄サリン事件です。
いつも通勤に使っていた日比谷線で、しかも同じ時間の電車に普段は乗車していたとのこと。
もし、あの日いつも通りに出勤していたら、間違いなくその方も巻き込まれていたでしょう。
それが免れたということは、その方が守られている!ということに他なりません。
自分で意図的に事件を回避できたのではなく、回避させられたのです!
もしかすると、普段は電車なんて乗らないのに、あの日たまたま乗った電車であの事件に巻き込まれてしまった方もいらっしゃるかもしれません。
守られ避けられた人がいれば、引き寄せられるように災難に遭った人もいる。
悲しいけれど、その違いこそが運です。
どんなに訓練や対策をしても、この世から事件や事故が無くなることは恐らくないでしょう。
であるなら、できる限り遭遇しないように自ら予防するしかありません。
その1つの予防策が、自己運を強く盤石にしておくことなのです。
道に反せば災難は止まない
そうは言っても、気学による法(時期や方位の善し悪し)で自己運を盤石に整えたとしても、中には災難を受ける人が一定数います。
そのような人が周囲にいたりすると、やっぱり気学なんて迷信だ!と思われるかもしれませんが、もう一つ重要な開運要素も備えていないと災難はいくらでもやってきます。
そのもう1つの開運要素が道(価値観、好き嫌い、物の見方、処世、生き方、それぞれの責任や役割…)です。
いくら吉方転居をし自己運を強化しても、好き嫌いし放題の食事や日常生活を続ければ病気を自家製造するのも当り前ですし、極端に偏った考えや処世もプラスには働きません。
また、自分の立場として必要な人間関係を維持しなかったり、当然の責任、義務、役割を果たさなければ周囲から妬まれ恨みを買い、最悪は事件の被害者となることだってあるかもしれない。
そういった自己バランスを崩す生活や、他を顧みない自己中心的な言動・処世は道を外した行いで、自ら運を悪くしているようなもの。
そんな生活を続けていくと何れ必ず問題が出てくるのですが、その原因がご自分から生まれているとはほとんど理解されません。
そこで自分の間違いに気がつけた方はとてもお幸せです。
これは簡単にできそうでかなり難易度が高いスキルになりますが、自分を客観視し、間違いがあれば正す、そのような自らを振り返る謙虚な心が自分を守ります。
気学の法は自己運強化に大きな影響をもたらすものの、吉方を使ったからと言って今後一切の災難が起こらず、無敵になれるわけではありませんから、道にも配慮した当り前の生活を続けることが何よりも大切です。
法と道。
働きは全く違っていても、共に私たちを守る開運要素。
この2つが災難を遠ざけ、穏やかな人生には欠かせない要素だと知っているか否かで、また人生の軌道も大きく変わってくるのです。