合格だけが全てじゃない、不合格は天の声

受験生の皆さん、受験お疲れ様です。
そして保護者の皆さまも大変お疲れ様です。
長い戦いもまもなく終わろうというところで、やっと肩の荷が下りホッとされていることでしょう。

願ったとおりの結果になった人は、春が待ち遠しいでしょうね。
逆に、悔し涙を飲んだ人は、人生的にとても大きな経験をされました。
悔しさをバネに…とは言いますが、誰もがそう善意に考えられるわけではないですし、受験に全てをかけていた人からすると大きなショックが残りますよね。

ただ、そんな方にこそ知ってほしいことがあります。
むしろ失敗して逆に良かったかもしれない、と。

本人の意思と吉凶は別

物事にはスムーズにいくときもあれば、ギクシャクして順調に進まないときもあります。
中には、今まで順調だったのに突然、歯車が狂い出すことだってあります。それは受験も同じ。
事前準備を万全にして努力してきたことでさえ不調に陥るわけですから本人は堪りません。

でも、そのギクシャクする・ストップさせられる、ということが実はそのまま進むべきではありませんよ!注意して進みないさいよ!という天の声だと解釈できるケースが少なくないのです。

普段、全く意識しなくても、私たちが何か行動を起こす際には誰でも必ず方位や時期の良し悪しが影響してきます。

どんなに有名で優秀な学校でも、自分が何としてでも入学したい学校であっても、そこに縁付く方位や時期が悪ければ期待した学校生活とはいきません。
その環境が自分と合うか合わないか、それが全てを左右します

自分の意思や好みと、方位・時期の良し悪しは全く関係しないため、自分が入りたくて入学した学校でも凶方だとこんなはずではなかった…、という流れになりやすいもの。
それが勉強面なのか、友達や先生との関係なのか、それとも全く予期していなかったことなのか、出方は人それぞれですが、せっかく必死の努力で勝ち取った学校でも問題や違和感が出てしまうことは珍しくありません。

また、その問題や違和感がどの程度出てくるかは凶方の強さによっても変わりますが、あまりにも負担の大きな学校だと転学や退学もあり得ますし、学校選びの失敗から人生そのものが躓いてしまう人だっています。

ですから、もし滑り止め校のほうが気学的に吉方で入学できるなら、むしろそちらに進学されるほうが本人の納得と充実度合いも大きく、人的に良い出会いも期待できると言えます。
ただ、進路選択は本人の意思が尊重されるべきで、いくら親や祖父母が気学をやっているからといえ無理に子供の考えを阻むべきではありません

そういった意味でも、何事もないのに第一志望校から気学的評価の高い学校を選ぶことは難しいのですが、合否の結果、仕方なくそうせざるを得ないというならば本当に幸いです。
本人は不如意でも、自然な形で軌道修正させられたと解釈できるからです。

自分に合った学校へ入ると、一生の友と言えるような気の合う友達ができたり、思いの外授業が楽しくなってきたりして当初抱いていたイメージとは大分印象が変わってくるはずです。
意外とこの学校で良かったかもしれない、と感じられるのが吉方で入学する学校です。

なにを優先するのか

学校を選ぶとき、あなたなら何を最優先して決めるでしょうか?

大多数の人がその先の進路で優位になるよう有名な学校やレベルの高い学校を目指す傾向にあります。
やはり将来の就職を考えればそうした選択になるのは当然ですね。

でも、学校自体の評価はとても気にするのに、その学校と自分の相性が良いのか悪いのかまで気にされる方は非常に少数です。気学に関心がないと、そもそも学校との相性があることすら考えもしないでしょう。

しかし、どんな人にも例外なく影響してくるのが自然界の法則である気学の吉凶ですから、素晴らしい学校に入学できたとしてもその環境の中から離脱することなく、ある程度やっていけるかどうかは吉凶レベルによります。

また、思春期はただでさえ多感で難しい時期ですので、学校が苦痛になるとストレスが連鎖して様々な面で不調を来しやすくなるもの。
極力そういった問題の芽を事前に排除しておくためにも、気学的な学校評価も参考にしていただき学校選びをしていただければと思います。

〇〇でなければならないという思い込み

もしもの話しとして、これから進まれた学校で思いも寄らない展開になったり、想像以上の心身負担で学校から疎遠になってしまうことがあるかもしれません。
そうなったとき、まずご自分を(我が子を)責めるのはやめましょう。

懸命な努力の末に入学し、学校生活も精一杯頑張ってきても、それでも上手くいかないことが人生には起こります。それが運だからです。

もしそうなったら、
自分は(我が子は)頑張ったけれど環境が合わなかったのかもしれないな、次こそはピッタリ合うところへ進もう!
そう柔軟に考えていただけたら、経験された不如意はきっと人生の糧となるはずです。
何事も順調にいくことだけが幸せではないし、逆に順調すぎて道を外すこともあります
失敗したからこそ気がつけたこと、理解できたこともあるはずです。

人は、何かしらの失敗や問題が出てこないと気学のような無形のモノに対してあまり関心も湧いてきません。順調なら、自分のやっていること、自分の進む道に疑いを持ちませんからね。

壁にぶつかって、何度もぶつかって、漸く努力だけでは突破できないモノがあるのかもしれない…と気がつく方が多いのです。
ある意味、早く崖っぷちに陥ったほうが開運策も早く採れると言えるかもしれませんね。
ですから、受験の失敗は人生の失敗なんかじゃありません。むしろ人生転換へ繋がるチャンスです。

よく、人生は〇〇でなければならないとか、学校は〇〇でないと意味がない、というような極端な考えの方もいますが、そういった価値観でいる限り人生は苦痛の日々です。

表面上の評価はもちろん大事。
でも、それ以上に本人の心が毎日穏やかでいられるほうが本当の意味で幸せなのではないか、と思います。
若い方々にとって大きな選択となるのが受験。
どんな結果であれ、明るい未来に繋がるよう願っています。






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