『SNS映え』という言葉が流行って久しいですね。
若者にとっては『映えた日常』か否か?ということがとても大事なようです。
古い話になりますが、アラフォーど真ん中の私が初めて携帯電話を持ったのは高校生の時。
当時は使い捨てカメラを普通に使っていた時代ですから、そもそも携帯電話にカメラ機能は付いていなかったような…と曖昧な記憶しか残っていないほど昔のことです。
それに比べたら、現代はほぼ1人1台は持っているであろうスマホから高画質な写真が好きなだけ撮れるし、アプリを駆使すれば誰でも簡単に可愛くかっこよくなれる!そんな凄い時代になりました。
使い捨てカメラを現像に出して出来上がりを楽しみにしたり、出来上がった写真にショックを受けて凹んだりしたあの時代とは訳が違います。笑
SNSが普及し、カメラやアプリの機能がますます進化して、より多くの人に素敵な写真や可愛い自分を見てもらえるようになりました。そして、その写真に対して『いいね!』がもらえたら誰だって嬉しいものです。
でも、こんなに発達した時代だからこそ、逆に苦痛を感じる人も多いのかな?と思ったりもします。
少し前にあるファミレスへ入ったとき、隣のテーブルにいた女子高生たちが勉強そっちのけで2人でずーっと写真を撮っているのを見て、『今の子は大変だなぁ…』と思ってしまいました。
納得いく一枚を撮るために時間をかけ、その写真をさらにアプリで修正して完璧な一枚に仕上げる。
誰かと競っているわけではないけれど、周囲の楽しそうな日常が写真を通して目に入ってくるから自分も同じように充実っぷりを写真で発信する。
そういったことを日々当り前のようにしていれば特別苦痛でも何でもないのでしょうけれど、わざわざ写真映えするようなスポットへ行ったり、写真のためにオシャレな飲食物を注文したりする子もたくさん居るようで、『充実した自分』を見せるための努力があまりにも行き過ぎたら心が疲れちゃうんじゃ…。という老婆心が出てくる私がいます。苦笑
もちろん全く無理もしていなければ、逆に楽しんでいる!くらいの子なら何も問題ないし、好きなだけ映え写真を撮ることに精を出したら良いですよね。
でもよく言われることですが、それによって心が疲れてしまうなら無理はしない、一旦SNSからは離れるといった選択も大切にしたほうが良いと思います。
そして、気学をお伝えする立場から感じるのは、運や精神が落ち着いてくると、無理して表面上の幸せや充実ぶりをアピールしなくても特別何とも思わなくなるということです。
他人の充実した生活を目にしてもそこまで不安にならないし動じなくなる。
見てくれではなくて、自分の内面が本当に安定してきたら他人のことなんて気にならない。
だから、無理して充実してますアピールをする必要もなくなってくるわけです。
そんなわけで、運の改善や精神的な安定のためにもチャンスがあれば気学の開運転居をオススメします。開運と聞くと物質的な充足が先に連想されますが、精神的に安定することは穏やかな人生を目指す上で欠かせません!
お若い方はまだ実家暮らしかもしれませんが、今後何かのタイミングで引っ越しを迫られることもあるはずです。どうせ引っ越しをするならぜひ気学的な吉方もご検討いただき、若い世代の方々に気学の凄さを知ってもらえたら大変嬉しく思います。
大勢の人に評価されなくても、自分が幸せだと思えるなら本来はそれが一番幸せな状態ですよね。
『人は人。自分は自分。』
それで良いじゃないですか?
表面的な充実は、それを重要視している方からすれば大事なことかもしれません。
ただ、それはあくまで表面的な幸せです。
内面が幸せでなければいくら表面上が幸せそうでも本当の意味で幸せとは言えませんし、結局、いつまで経っても周囲と比較して不安に駆られる。いつまで経っても真の幸せは実感できない。そんな状況に陥っている方も少なくありません。
こんな時代ですからSNSを遮断することはできないにしても、ご自分なりの使い方ができたらよいですね。
そして、物質的にも内面的にも落ち着いた平穏な生活が長く続いていくように、ぜひ気学も参考にしてみてください。