こんにちは。法道会の前沢です。
今年もあと僅かになってきましたね!
ただいま当会では創立100周年特別相伝会を実施していることもあって、久しぶりにお見えいただくお客様もいらっしゃります。
そこで嬉しいご報告をいくつかいただきましたので、その中から2つのケースをご紹介したいと思います。
稀にみるハイスピード開運
まずお一人目は、昨年、当会の鑑定にて大吉の開運転居を実行された30代の女性。
転居後早々から開運を実感されたそうで、お仕事の依頼が増えたり責任あるポジションを任されるようになられたとか。
日々、目まぐるしくお過ごしのようで、時間があれば床で寝られるほどのご活躍ぶり。
そして転居を機に、婚活も本格的に開始したら意中のお相手と出会われ、結婚の話も進んでいるとか。
あまりのスピード開運にこちらも大変驚きましたが、当のご本人も急激な変化に少々戸惑われていらっしゃるようで、
『運転の仕方がわからない馬力のある高級車を運転している感じ』というお言葉が印象的でした。
誤解のないようにお伝えしておきますと、この方のように転居後すぐ吉兆が出始めるパターンは超超レアケースです。
普通はもっと時間がかかることがほとんどで、大吉を使ったからといって誰でも短期間で劇的に人生が素晴らしく変化する!わけではありません。
多くの場合、転居後は環境の変化から様々な問題や体調変化などが生じやすく運勢的には不安定な時期となります。
ですから、開運転居はしたけれど運が開けるのはまだ先かな…、といった印象のほうが強いはず。
年数が経過し運が落ち着いてきて漸く吉兆らしいことが感じられる、というのが通常のケースですが、稀にハイスピードな開運をされる方もいらっしゃるんです!羨ましい限りです!
渡りに船の幸運
そしてお二人目は30代男性のケース。
3年前にご夫婦で鑑定に起こしになった際、奥様は現居がたまたま吉方だったもののご主人には凶方でしたのでお二人揃った開運転居をお勧めしておりました。
しかし、転居時期になってもご連絡がなかったので結果的に実行いただけなかったのだろうとは思っておりましたが、それが嬉しいことに、中々お子様に恵まれなかった奥様が妊娠・出産されたことで予定通りに転居できなかったのだとか。
それは奥様の吉方が徐々に効いてこられた証ですから、お子様誕生のご報告は私共にとっても大変嬉しいものでした。
その後、ご主人は当会での鑑定から気学の必要性を痛感。
独学で勉強を始められ、現居運を改善しようとご主人単独の方除けも行ったそうです。
ただ、それが正しかったのか疑問に感じていらっしゃったところ久しぶりにお越し下さいました。
案の定、実行された方除けでは意味をなさないという事実を知り、落胆されるご主人。
それでも、その事実を聞かされるために久々お越しいただけたのだろうと私は直感しました。
本当に運が良い方です!
一般的に気学と言ったら九星気学ですから、その中身はどれも同じだろうと皆さん思っていらっしゃるかもしれませんが、実は全く違います。
市井に広まっている気学は、基本的に曽祖父である園田真次郎時代の古い気学であり、気学宗家100年の歴史の中で得られた多くの実証から気学の応用法が大きく変わってしまいました。
ですから、せっかく気学を勉強なされても昔の気学理論では開運するどころか、逆に災難を受けてしまうこともあるので、独学は危険なのです。
その方は近い将来、ご家族揃った開運転居のチャンスがあるので、次こそは間違いなく実行していただけるであろうと確信したのでした。
開運の秘訣
これらを見てきて真っ先に感じることが、お二方とも非常に守られているな~ということ。
誰に守られているのか?といったら、
運なのか?ご先祖なのか?大自然からなのか…?
恐らく、そのどれもあるでしょうが、それらの目に見えない力を言葉で説明するのは非常に難しいですね。
それでも、様々なお客様にお目にかかっていると、明らかに守られているな~と感じる方が一定数いらっしゃり、
そういった方々は、皆さん、ご自分なりの道を踏んでいたり、敬虔な方だったり、周囲や人様のために尽力してきた、というような共通点があります。
また、両親や祖父母の中にそうした方がいらっしゃると、そのお子さんやお孫さんにまでその徳が引き継がれるかのように守られているケースがあるのです。
気学で開運策の筆頭といったら吉方転居(法)です。
でも、吉方と同じくらい、いやそれ以上に大切なことが【どう生きているか?=(道)】ということ。
吉方転居をしてどんなに大吉を使いたくても、そもそもチャンスがなければ転居なんて出来ません。
現実にはそうした未だ吉方転居が叶わない方や、または気学なんて知らずに生きている方がほとんどですが、それでも守られている方が存在しているということは、(道)の作用が非常に大きいということに他なりません。
要は、日頃の生き様が人生そのものに直結してくる、というわけですね。
恐ろしいと言えば恐ろしい。
けれども、自分がやってきた行いが自分に還り、さらには子や孫にまで還ってくるという大自然の因果がこの世には間違いなくあって、その因果に狂いはありません。
ですから、穏やかで幸せな人生のためには、まず【道を踏むこと】が不可欠なのです。
では【道を踏む】とは一体どういったことなのか?
ここが一番の問題ですが、(道)を一言で表現するのは至難です。
吉方凶方といった(法)以外の要素は全て(道)、というのが答えでしょうか。
例えば、
- 親なら親として、夫(妻)なら夫(妻)として、兄弟として、上司部下として…、というように自分には無数の立場があり、その立場に応じた責任や役割を果たしている
- その責任や役割を自分の好き嫌いに拘わらず、過不足無くこなしている
- 時に自分を譲歩したとしても全体的な円満を優先している、価値観や拘り、好き嫌いを押しつけない
- 協調性や助け合いの精神があり、それを打算なく実行している
- 食事や睡眠・生活内容において、自己バランスを欠いたり度を超した処世にならないよう心がけている
これら以外にも様々なことが(道)の要素になり得ますが、上記は(道)の代表的な例です。
こういったことが自然とできている人は【道を踏んでいる人】といえますね。
こうして書き出してみると、人と関わりながら生きている人生において(道)は極当り前のことです。
でも、実生活に照らしてみると、意外と出来ていなかったり難しいことがありますね。
自分はここが足りないな…とか、むしろやり過ぎているな…とか、謙虚に客観的に自分を振り返る心が大切です。
自らの責任を果たし相手を思いやること、そして自分自身にも目を向け何事もバランスを図った生活
を続けていくことが【道を踏むこと】の第一歩となります。
そして道を踏んでいると、人に恵まれたり、守られたり、気学と縁付いたり、と加護が授かるのが自然の妙。
道を踏んでいる人は不思議と吉方が使えるチャンスに恵まれるのも有り難い因果です。
真の幸運には【法と道】が必要。
そう強く感じていたからこそ、祖父は【法と道を実践する場】として法道会を設立しました。
気学は(法)さえ完備すれば開運する!という昔の考えから脱却しなければなりません。
【法と道】この2つが揃ってこそ本物の幸せが授かるのです。