がむしゃらに生きている人は運も強い

先日、1年ぶりに会う友人とランチをしてきました。
久しぶりに会って、彼女は全力で生きているなと感じたのでここに書いておこうと思いました。

いやいや、誰だって全力で生きているよ!とツッコミが入りそうですが、
私がここで言う全力で生きるとは、自分の役目や責任を100パーセントやり切っている、突っ走っている、という意味です。
誰もそんなことを意識しながら毎日生きているわけではありませんし、それは彼女もそうだと思いますが、だからこそ深く考えずに、さらっと自分のやるべきことを日々やっているから非常に好感なのです。

人間はいくらでも口で良いことを言えてしまうので、言葉ではなく行動をみてその人を理解する必要があります。行動にはその人の本心が現れるものですから。

しっかりやっている風に見えても実はやるべきことをやっていないとか、口先では正論を言っていても行動が全く伴っていない人だっているでしょう。
そういった人は事実上、手抜きの人生を送っていることになります。
今はそれで円く収まっていても、運命上は後日そのツケが必ず自分に還ってくるのがこの世のルールですから、幸せな人生を送るためには、いかに今を全力で突っ走っているか?が重要なのです。

苦を苦と思わない幸運者

彼女とは子供が幼稚園のときからの付き合いなので、かれこれ12年以上の仲。
その間に兄弟が生まれ、離婚もし、現在のパートナーと出会ってやがて同居し、彼女の人生も色々あるね~という人です。

1年ぶりに話を聞いたら、子供たちのお稽古の付き添いが毎回2~3時間もかかって大変なこと、不登校ではないものの放っておくと登校しない長男を毎朝高校まで送っていること、彼に病気らしきものが見つかったり怪我に見舞われたこと…。
ひっきりなしに話題が続き、彼女も大変そうに話してはいるけれど、不思議と苦痛に感じている様子は全く見られないのが凄いところ
おまけに自分の仕事は出勤日を減らしたそうですが、自宅では彼の仕事の経理や事務作業までこなしているというのですから、とてつもなくパワフルだなと感心してしまいました。
私ならやることが多すぎてパンクするレベルです。苦笑


彼女曰く、お稽古もよその親はみな付き添っていて中には両親できている家もあるそう。
子供も安心感からなのか、親に付き添われている子の方が上達しているから仕方ないんだとか。そんな現実を目にしたら、うちは帰ります!とは言いにくいですよね…。

それに、長男も高校生なんだから自力で登校するべき!甘やかしすぎ!と他人に思われても、そんなことは十二分に承知の上!
なら高校を辞めてしまえ!と言われたって、親としては高校くらいは行ってほしいから仕方なく送っていくわけです。
普通に登校できて何も問題がないお子さんの親からすれば、とんだ過保護に映っているでしょうが…。苦笑
でも、これはそんな境遇にある親でないと理解は難しいかもしれません。
うちも似たような感じでしたからよく解ります。親として必死なんです。
今自分にできることはやってあげるしかない、そんな気持ちで彼女も毎日過ごしているはずです。

子供たちにも、彼に対しても、何でも一生懸命に向き合って行動している姿は凄いもの!
大変なことがあってもそれを深刻な苦と捉えずに行動できていること自体で幸せな人ですね。
そんな物事の見方ができる人は、運勢上でも守られている幸運者なのです。

運が良いとは物質が満たされることではない

振り返ると、元旦那さんはかなりの自由人でそれに家族は振り回されていたわけですが、あのときも彼女は元旦那さんに対して柔軟に対応していたように私は記憶しています。
だから、彼女の処世は今に始まったことではなく、真摯に向き合う姿勢は昔からなんですね。

彼女の話を聞く限り、恐らく今までの人生において吉方は使っていないはずです。
であるから人生は山あり谷あり、次から次へと何かしらの大変さはある。
それでも子供たちとの親子関係はそれぞれ良好だし、理解ある彼との出会いを考えると彼女は守られているなと強く感じました。

この守られている主因が全力で生きていることなのです。
それを当会の言葉では「道を踏んでいる」といいます。
自分に課された役割や責任を過不足なく全うしている「道を踏んでいる人」は、仮に吉方を使えていなくても守られたり救われたりすることがあります。

実に運の半分は道を踏んでいるか否かにかかっている、といっても過言ではありません。
それほど運の善し悪しに影響するのが「道」であり、その人の処世です。


私たちには、それぞれに課された役割や責任が必ずあります。
夫/妻として、親として、子供として、義理の関係として、上司/部下として、友人として…
無数にある立場や責任を背負いながら生きている私たちは日々必死に生きてはいるものの、果たしで自分の立場に応じた振る舞いは出来ているでしょうか?

必死だからこそ前しか見えなくなりますが、たまには自分を振り返ってみてみることもとても大切です。
そうやって謙虚に自分自身を見直すことが出来る人は、やはり幸せな人と言えるでしょう。

タイトルとURLをコピーしました