出会いがあれば別れもある。
続く縁があれば続かない縁もたくさんあるのが人生。
それは生涯のパートナーに限らず、友人関係においても同じです
考えてみたこともなかったですが、人は生きている間にどれほどの人と出会っているのでしょうね?
その中で本物の縁になっていく出会いなんて極々僅かしかない奇跡みたいなものです。
だから、自分は相手をとても大切な存在だと感じていても、相手がどう思っているかは別の話で…。
急に相手の態度が変わったり、疎遠になったりして悲しみに暮れることも人生においては珍しくない出来事です。
そうした悲しみに遭遇すると、心の傷がなかなか癒えない人も中にはいらっしゃると思いますが、私は続かない縁はきっとその程度の縁なんだ!と割り切って考えるようにしています。
気学的に考えてもそうだからです。
実は、学生時代に仲が良かった友人が私の悪口を言っていると耳にしたことがありました。
勿論その時はショックですが、時間が経てば冷静になり悲しさも薄まります。
逆に、その子の本音を知ってスッキリした心境にもなり、心の中でその関係にピリオドを打つことができました。
誰だって辛い時はとても辛いもの。
それでも、前向きに柔軟に物事を捉える視点は開運に必要不可欠な要素です。
ショックなことや辛いことを経験しても、そこにいつまでも拘りすぎないモノの見方ができると、また自然と次の出会いが入ってくるものですよ。
どんなにこちらから追いかけていっても、離れていく縁はそれまで。
どんなに小さな接点でも、本物の縁であれば続いていく。
だから、自然の流れに逆らわずそのまま進めばよいのです。
自力でその流れを変えることはできませんから。
運と縁
ある親御さんからの話。
小学校高学年から若干の不登校気味だったA君。
その原因となり得る学習障がいが発覚し、勉強が徐々に難しくなっていく中で学校から足が遠のいてしまったようです。
ご相談を受け、中学校進学を期に通常学級ではなく支援学級へ在籍されることとなったのですが、小学校時代の友人から避けられるようになってしまったとのこと。
以前はお互いの家へ頻繁に泊まりあうほど仲が良かっただけに、友人の態度豹変に戸惑われているようでした。
親御さん曰く、今まで普通だと思われていたのが支援学級へ在籍したことで息子を白い目で見るようになったのだろう。解ってはいたが、事実こうなるとやはり辛い…と。
A君も悲しいでしょうが、それを見ている親御さんも胸が苦しくなりますね。
お友達自身が自分たちとは違うんだ!と感じたのか、事の経緯を聞いたお友達の親御さんがA君と距離を置くように言ったのかは判りませんが、どちらにしてもそれがそのご家庭の考えだということで理解するしかありません。
世間では多様性を理解するべきと声を大にしていますが、表面上それを理解しているつもりでも実際問題として自分と関係してくる場合とではそこに天地の差の感情が生まれます。それが人間です。
ですから、悲しいけれどお友達を責めることはできません。そういった考えの人なのですから。
自分は大親友だと思っていたけれど違ったんだ…。縁がなかったんだ…。そう解釈するしかないのです。
でも、子供時代に辛い経験をするのは決して悪いことばかりじゃありません。(親子関係の問題は別)
辛い経験を通してA君は人生を学び、心が強く大きく成長するはずです。
親御さんはご心配でしょうが、この先も大人になるまで親が全ての問題を回避してあげることもできませんし、子供のためにそれをするべきでもありません。
新環境でA君に新しいお友達ができるよう見守ってあげることが精一杯の愛情ではないでしょうか。
こんな方もいます。
軽度の知的障がいがあるB君。
中学校の途中で発覚したため、通常学級のまま在籍されたそうです。
仲の良い友達に告白したところ大変驚かれたそうですが、その友達関係は特別変わらなかったと。
卒業して別々の高校へ進学されても関係は続き、むしろその友達がB君のことを自分が進学した高校内の友人に紹介し、共通の趣味を介してB君の交友関係が広がっているとか。
聞く人によってはこう思うでしょう。
A君は支援学級に行っているため他の生徒の目もあって友人は離れ、B君は通常学級のままだったから周囲の見る目も変わらず関係が継続したんだ!と。
確かにそれも一理あるかもしれませんが、それなら中学卒業とともにB君の友人関係は終わっていたはず。
けれど、そうならなかったということは2人の間に本物の友情があるからでしょう。
ちなみに、B君一家は吉方転居されて年数が経過しており、親御さんは非常に心配されておりますが、お話を伺う限りB君は着実にご自分の人生を歩んでいらっしゃるように感じます。
一方、A君一家は一度も吉方を使われたことがなく、今年は親御さんの運気が一段と悪化する節目のために、お子さんのことで心を砕かなければならないことが多いと考えます。
これは必ずしも自宅の吉凶運のみが友人関係に影響しているわけではないですし、様々な原因が絡んでもいますが、それでも自宅運が盤石であるか否かは人との出会いや縁を考えた時、非常に重要な要素であることは間違いありません。
本物が生まれる環境
人生で起こる数多くの出会いの中には、本物になる縁とそうならない縁があるわけですが、気学的に考えたとき、その違いが生まれる差は一体どこにあると思いますか?
その答えを一言で表すなら… はい、また「運」です。
自分の運気の良いときや吉方の環境では、自分にとって深く大切な縁になる可能性の高い出会いが生じやすいのです。
反対に、自分の運気が低下してる時期や凶方の環境下で出会った人とは表面上の付き合い程度で終わりやすく、その縁が長期にわたって続いていくことは少ない傾向にあります。
むしろ、そんな状況で出会った人とはトラブルが起きたり、後味の悪い関係になってしまうことも珍しくありません。
私の経験から言っても、先程の悪口を言われて離れた子は凶方で入学した学校の友人です。
そこに凶方で入学していたと自分で理解したのは気学の修行を始めてからですが、思い返しても嫌な思い出がいくつもありましたし、学校生活を通して凄く楽しかった印象は薄めです。
その学校内ではそれなりに仲良くしていた友人もいましたが、現在まで連絡を取っている人はいません。
一方、今なお20年以上も付き合いのある友人は吉方の環境で出会った人たちです。
当時はテストが大変だったり嫌な先生もいましたが、それ以上に友達との学校生活がとても楽しくて充実していた記憶しかありません。それほど私にとっては大切な縁が生じた環境でした。
私は凶方と吉方のどちらの環境も経験し、仕事柄その環境の違いをよく認識しています。
普通は吉方だとか気学を知らない人がほとんどですから、そんなことを気にしないで生活している方が大多数です。
だとしても、人によっては自分の人生に大きな影響を与える良い出会いがあったり、運命の出会いだと思えるような人と巡り合ったり、そんな貴重な経験をされた方は時期や環境が良かった可能性が高いですね。
人は一人でも生きてはいけます。
他人と関わると疲れるから一人が気楽で良い、という考え方も理解できます。
でも、本当に気の許せる人や自分と波長の合う人と出会ったら、またその考えも変わってくるかもしれませんよね。
人と関わると、そこに少なからずストレスも生じる可能性があるわけですが、真に気の合う人と出会ったら、それは生きる楽しみにも喜びもにも変わるはず。
そんな心豊かな人生を送っていただくために、気学が存在しているのです。